デジタル写真館(中国)

シルクロード2-1 南疆の旅
-カシュガル・ホータン-

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 (pic01) 新疆ウイグル自治区の区都ウルムチを後に、中国南方航空のボーイングはカシュガルに向けての飛行に入る。
 (pic02-04) 離陸して暫くすると、眼下に朝日でピンク色に染まった雪を頂く山並みが見えてくる。天山山脈だ。
 (pic05) 2時間足らずの飛行で、無事カシュガル空港に着陸した。だが風が極めて強い。
 (pic06) 歩道が広かろうが狭かろうが、其処彼処に露店が並ぶのは、中国ではお馴染みの光景だ。
 (pic07-11) 空港から20分ほどで香妃墓に到着。墓室内は撮影禁止。イスラムの高官アパク・ホジャとその一族の墓が有る。隣接地には墓碑銘の無いイスラム教徒の墓があった。
 (pic12-18) カシュガルのバザールは04年から現在の屋根付きの姿に改良されたようだ。
 (pic19) 一旦ホテルに入り休息。民族舞踊で出迎えてくれる。
 (pic20-29) 2時間ほど休んでから職人街へ。三日後にラマダン開始を控え、ラマダン食も人がたかっていた。NHKの新シルクロードにも出たという男が演奏するのは民族楽器エルジェック。(pic24)のシュマックは何かお分かりだろうか?次のベビーベッドがヒント。穴の下から差し込んで幼児のおしっこを取る道具だそうだ。パイプのように先の曲がったのが男の子用。真っ直ぐなのが女の子用。山と積み上げられた丸いパンはナンと呼ばれていた。
 (pic30-35) そのまま歩いてエティガール寺院へ。偶像崇拝の無いモスクの中は説教壇に礼拝時間を示す時計が有るだけ。中庭には礼拝を呼びかける櫓があった。寺院の前庭は旧中央広場。ここが礼拝の人たちで埋め尽くされたことも有ったという。
 (pic36-40) 翌朝は快晴。彼方に天山山脈を望みながら、3600mの高地にあるカラクリ湖に向かう。途中火焔山よりも赤い山が有った。
 (pic41) ゲイズ検問所ではパスポートの提示を求められた。アフガニスタンとも国境を接するこの辺りには、以前ビンラディンの教宣パンフが大量に流入したことがあったそうだ。


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 (pic42-43) 更に酸素枕を抱えながら山道を登ると次第にカラコルムに連なる雪山が大きさを増してきた。遥かにゲイズ川の河畔に見えるパオはキャラバンサライ。
 (pic44-47) ブルン湖畔ではキルギス族が民芸品等を売っていた。湖水は大半が干上がっていたが、僅かに残っているところでは、風が無いために対岸の雪山が鏡のように映し出される。次第に雲が出てきたのが悔やまれる。
 (pic48-50) 標高3,600mのカラクリ湖畔ではパオの上に雪が積もっていた。向かいに見えるのが7,719mのコングール山。昼食を摂っている間にも次第に雪雲が下りてきて気温は7℃。湖右手のムスターグ・アタ山(標高7,546m)は完全に雲に覆われてしまった。帰途では少し雪に降られた。
 (pic51) 山中のそこここで羊が放し飼いにされているが、人が近づいても動じない。慣れているのか、追われたことが無いのか。
 (pic52) 夕食はホテル敷地内のレストランで摂る。隣の幕の向こうでは民族芸能の音が響き、向かいでは羊の丸焼きを解体していた。
 (pic53-58) 翌日は一日かけて、カシュガルからホータンまで移動。右手には雪を被ったパミール高原からカラコルム山脈が見えた。途中イエンギザルのナイフ店を見学。ここで飾りナイフを買った人たちは数日果物の皮を剥いた後、コルラの空港で没収された。ヤルカンドではアマニサハンの墓とヤルカンド王陵が向かい合う所を一瞥。一日の走行距離は520kmだが、バスが左右に揺れ続ける大移動だった。
 (pic59-60) 途中トイレ休憩の際に、スナトカゲを発見。妙に頭が丸い。道端では柘榴を売っていた。買い手より売り手の数の方が多い。
 (pic61-62) ホータンのホテル前の広場に朝日が昇る。前夜この広場では第一回民間文化芸術祭をやっていた。カシュガルでもやっていたそうだ。北京オリンピックに向けて外国人観光客向けに民族芸能を高めようという国策でもあるのか。しかし、この街のそれは、途中から喉自慢大会に変わっていた。
 (pic63-64) ホータンの白玉河ではツルハシ担いだ玉石探しの男がいた。ブルドーザーに掻き回された後の川原では余り期待できないが、ツアー同行者も結構目の色を変える。
 (pic65-69) マリクワト故城遺跡は白玉河沿いにある。入り口でカメラ撮影料10元を徴収された。現地ガイド氏は、ここで玄奘三蔵が半年も長逗留したのは色に狂ったからだと自説?を開陳した。
 (pic70-71) ジヤのアトラスシルク工房を見学。
 (pic72-74) ホータン絨毯廠も見学。崑崙山脈の高地に育った羊の毛を使うと言う。
 (pic75) 昼食を摂ったホテル前のホータン市街。ラマダン入りした所為か静かだ。
 (2006年9月)


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タクラマカン沙漠
縦断に続く

Photo by INO, Shohta with NIKON D70 & RICOH Caplio R4.
      Arranged with Photoshop CS2.

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